褒めるための仕組みづくり
おはようございます。
LaLaDUALの手塚千聡です。
みなさん、褒めるの得意ですか?
白状すると、私はかなり不得意。
昨日も打ち合わせ中、かなり褒め上手な女子の傍で、なんとも不自然な相づちを打って終わってしまいました(._.)
褒められるのは嬉しいし、無邪気な子どもたちを見ていると、やっぱり人は褒められて伸びていく生き物だなぁと感じます。
夫もたまに賞賛すると、この上なく幸せそう。
結婚して8年、子どもを持って6年。
遅ればせながら、私の役割は、褒めることだわと思い立ったとき、こんな本に出会いました。
へぇーと思ったのが、「褒めるための仕組みをつくる」という発想。
たとえば掃除が終わったばかりの教室に、誰かが忘れたというていで、雑巾と水の入ったバケツをわざと置いておく。
それに気づいた子どもたちが、どんな風に反応するかを観察して、知らないフリをせずに片づける子がいたら褒めようと準備していたというエピソードがありました。
こんなところを褒めたいという目的がまずあって、そのためのシチュエーションを作ってという、褒めるための準備をするという発想です。
これは、出来事を一部始終見ることができるというメリットがあるんだそう。
たしかに忙しいなかで、褒めたいが先に立つと、すぐ目に見えるものを褒めて満足してしまいそうです。
何か用事をしながらだと、兄妹で遊んでて、どちらかが優しく接している場面って、案外見逃しているかもしれません。
ケンカしてるときはすぐわかるんですけどね(笑)
目についたことを何でもかんでも褒めるのは白々しいし、瞬発力で的確に褒めるのは難しい。
そんな悩みにも効きめがありそうです。
そしてもうひとつ。
わざわざ準備しなくても、そんな事態が起こったときに、褒めればいいんじゃないの?という問いに対して。
時間がないときにそんな事態が起こったら、「バケツを片づけ忘れたのはだれか」というところに意識が向いてしまうかもしれず、目的がすり替わってしまうんだそう。
おっしゃるとおりだなと納得です。
どうしてそうまでして褒めるのか。
それは子どもの「動きたくなるエネルギー」を育てるためなんだそう。
自分のことを振り返ってもそうですね。
悔しさをバネにしたという記憶はなくて、褒められて舞い上がってやるという気質でした。
自分が満たされていないと、なかなか他人を褒められないということもあるかもしれません。
ただカタチから入るうちに、内面化できるときうこともあるはず。
私は褒めることが仕事だと、まずは一番身近な家族から始めたいと思います。
「褒めるための仕組みづくり」、ご一緒にいかがですか?
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